スキップしてメイン コンテンツに移動

過ぎ去った停車駅(回想短編小説)

 夕暮れの渋谷は、仕事を終えた人々でいつもより賑わっていた。印刷会社の社長、高橋はその日も一日中、納期に追われて仕事をしていた。会社を切り盛りする責任感と、クライアントの期待に応えようとする熱意が、彼を日々駆り立てる。しかし、その熱意とは裏腹に、体は疲労で重く沈んでいた。


 夜の十時を回った頃、高橋はようやくオフィスを出ることができた。渋谷駅に向かい、東急田園都市線のホームに立つと、家への帰路に心が少しほぐれた。つきみ野へ帰るために電車に乗り込み、座席に身を沈めると、彼の疲れた体はすぐに睡魔に襲われた。


 電車は、夜の帳が下りた東京の郊外を静かに走り続ける。車内のほとんどの乗客も、長い一日の終わりに静かな時間を過ごしていた。高橋は深い眠りに落ち、疲れた心と体を休めていた。 


 しかし、睡眠はあまりにも深く、つきみ野駅で降りるべきところを寝過ごしてしまった。電車はさらに進み、中央林間駅に到着した時、車掌のアナウンスで目を覚ました。外を見ると、つきみ野駅とは違う地下の風景がそこにはあった。 


 一瞬の混乱の後、高橋は自分が乗り過ごしてしまったことに気がつき、心の中で苦笑いした。こんなこともあるか、と自嘲しつつ、次の電車で戻ろうとしたが、ふと彼はこの小さなミスがもたらした予期せぬ休息の時間を楽しんでみようと、駅の外に出てみた。 


 夜風が心地よく、星空が美しかった。彼は普段なら忙しさにかまけて見過ごしてしまうであろうこの平凡な美しさに気づかされた。高橋は、時には立ち止まり、周りを見渡すことの大切さをしみじみと感じていた。仕事に追われる日々の中で、小さなことに心を開く余裕を持つことの重要性を、改めて感じ取った瞬間だった。 


 結局、高橋は無事につきみ野へと戻り、その夜は深い眠りについた。翌朝、目覚めた彼は、前夜の出来事から得た小さな教訓を胸に、新たな一日を迎える準備をした。時には道を踏み外すことが、意外な発見へと導く。高橋のこの小さな冒険は、そんな人生の小さな真実を彼に思い出させてくれた。 


 そして、彼はこの経験を社員たちと共有し、仕事の中で時には立ち止まり、周囲を見渡すことの価値について語った。時には予期せぬ遠回りが、最も価値のある道になることもあるのだと。


コメント

このブログの人気の投稿

各駅停車の一人旅

  ご利用者様と「秋にしたいこと」というお話をしていたところ、 「旅行かなぁ」 とおっしゃられた方がおりました。 その話から、 「旅行は一人旅で、各駅停車の旅もいいよ」 との声も上がり、私も「確かに時間を気にせずに各駅停車で旅をするのが一番贅沢かもしれない。」 と納得しました。 ということで、皆様と「各駅停車の旅」を描いた小説を作り、読ませていただいたところ、とても共感を得ましたので、発表させていただきます。 皆様はこの小説のどこに共感しますか? __________________________ 各駅停車の物語 雨の降る東京駅のホームに立っていた。手には軽いリュックサックと文庫本一冊。スマートフォンの電源を切り、腕時計だけを頼りに旅に出ることにした。 上野、日暮里、そして東北本線へ。窓の外を流れる景色が、少しずつ都会の喧騒から離れていく。各駅に止まるたびに、新しい空気が車内に流れ込んでくる。急行や新幹線では味わえない贅沢だ。 「お客様にお知らせいたします。まもなく黒磯駅に到着いたします」 車内アナウンスの声が、どこか懐かしい。ここで乗り換えだ。ホームに降り立つと、夏の風が頬をなでる。待ち時間の三十分は、駅前の食堂でかつ丼を食べることにした。 「お客さん、旅行?」 店主の老婦人が声をかけてきた。 「ええ、奥入瀬に向かっています」 「まあ、遠いところね。でも各駅なら道中の景色がよく見えるでしょう」 かつ丼の出汁が染み込んだご飯を口に運びながら、老婦人の言葉を反芻する。確かに、新幹線なら三時間で青森まで行けるのに、わざわざ各駅停車で一日以上かけて行く選択をした。でも、それは決して無駄な時間ではない。 再び列車に揺られる。福島を過ぎ、仙台へ。車窓から見える田園風景が、刻一刻と変化していく。稲穂が風に揺れ、遠くには山々の稜線が連なる。時折、踏切で停車する度に、土地の匂いが車内に滲む。 夕暮れ時、一関駅で下車。駅前の温泉旅館に一泊することにした。湯船に浸かりながら、窓の外に広がる星空を眺める。都会では決して見られない光景だ。 翌朝、また旅は続く。八戸に向かう車内で、隣に座った老紳士と話が弾む。 「私も若い頃は、よく各駅停車で旅をしたものですよ」 「今は皆、急いで目的地に向かいますからね」 「そうそう。でもね、人生って案外、各駅停車みたいなものじゃないですかね」 その...

【過去のぬくもりで笑顔に!】認知症ケアで心をつなぐ回想法の力

認知症ケアにおける回想法の効果 認知症のケアで使われる「回想法」は、記憶を思い出すことで心の安定や人とのつながりを深めるのにとても効果的です。 回想法は、昔の思い出や経験について話すことで安心感や楽しさを感じることができる方法です。例えば、家族旅行の思い出を話したり、子どもの頃に遊んだことを思い出すと、心が落ち着いたり、懐かしい気持ちになります。昔の写真を見たり、懐かしい音楽を聴くことも良い方法です。 笑顔を取り戻し、心をつなぐ力 認知症の人にとって、記憶が薄れていくことは不安や孤独を感じる原因になります。でも、昔の楽しかった出来事や安心できる思い出を思い出すことで、笑顔が増えたり、人と話すことが楽しくなったりします。 記憶があいまいになっても、感情に結びついた思い出は残りやすいので、安心感を与える大きな支えになります。特に楽しい経験や安心できる記憶は、感情と強く結びついているからです。 気軽に試せる回想法のやり方 1.写真やアルバムを利用する: 家族の写真や昔の生活の写真を見ながら話すことで、自然に昔の記憶がよみがえります。 2.音楽の力を借りる: 若い頃に流行った音楽や好きな曲を一緒に聴くと、楽しい思い出が浮かびやすくなります。音楽は感情を呼び覚ます力が強いので、特に効果的です。 3.昔の物を触れる: 昔使っていた道具や生活用品に触れることも、懐かしい気持ちを引き出す良い方法です。例えば、古い茶碗やお気に入りの器、手動のミシン、昔の電話機などを使うと、昔の生活の記憶がよみがえります。 回想法を最大限に活用するコツ 回想法を行うときに大事なのは、相手のペースに合わせることです。無理に思い出させようとせず、安心できる雰囲気の中で自然に思い出してもらうことが大切です。 例えば、静かな環境を整えたり、穏やかな声で話しかけたりすることで、相手がリラックスしやすくなります。また、思い出を話しているときの感情を大切にし、共感しながら聞くことで、心のつながりが深まります。 認知症のケアにおいて、回想法は単なる治療法ではなく、温かいコミュニケーションを築く手段です。昔の記憶を通じて、今を少しでも心地よく過ごしてもらう助けになるでしょう。

やまと芸術祭 写真部門への出品のご報告

この度、デイランドユニークケアから2名が大和市芸術祭の写真部門に出品し、展示の機会をいただきましたことをご報告させていただきます。 展示概要 - イベント:やまと芸術祭 - 部門:写真部門 - 出品作品:散歩で出会った風景写真 - 出品者:デイランドユニークケアより2名 デイランドユニークケアでは、利用者様の心身の健康のために日々の散歩を大切な活動としています。 その中で散歩中に出会った美しい風景や季節の移ろいを写真に収められました。 何気ない日常の散歩道に広がる風景の中にも、たくさんの発見と癒しがあります。 今回の写真展示を通じて、散歩で出会った地域の魅力を、多くの方々と共有できることを嬉しく思います。 これからも散歩を通じて、地域の自然や風景との出会いを大切にしてまいります。