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ヒロコ先生物語(回想短編小説)

  昭和32年、ヒロコは地元の青森県弘前市にある、お寺が経営する幼稚園で教諭としてのキャリアをスタートさせました。お寺の幼稚園での勤務は、彼女にとって多くの学びと経験の場であり、地域の子供たちとの深い絆を築く機会でもありました。彼女の温かい心と優しさは、幼稚園だけでなく、お寺のコミュニティでも広く知られており、多くの人々から愛されていました。 


 そこで働いている間、ヒロコは何人かのお坊さんたちからアプローチを受けました。

彼女が暇そうにしているところを見計らって、園長さんが

「ちょっと、暇な人はお茶を運んできて」

と彼女を呼び、お茶を持って行くと知らない間にお坊さんとのお見合いになっているのです。

 その後に、お坊さんからお付き合いの申し出などがありますが、彼女はそのお誘いを丁寧に断り、教育への情熱を優先させる選択をしました。この経験は、彼女の教育者としての強い責任感と自立心を示すものでした。 


 何年かのち、結婚を機に東京の蒲田に移り住みましたが、そこでもヒロコは幼稚園の先生として働くことにしました。彼女は津軽弁を話す青森の出身でしたが、蒲田の幼稚園で園児たちとの日々を過ごす中で、自然と標準語を覚えました。

 彼女は後に、「園児さんたちから日本語を教わったのよ」と笑いながら話すことがありました。このエピソードは、言葉の壁を越えて子供たちと心を通わせるヒロコの優しさと柔軟性を表しています。 


 そこでは、高齢の先生がピアノ演奏を得意としていましたので、ヒロコは音楽に合わせて園児たちと踊ることで、楽しく体を動かす時間を提供していました。この活動は、園児たちの健康と運動能力の向上に貢献していました。 


 また、ヒロコはちぎり絵の才能もあり、子供たちの創造力を育てるために、特に男の子たちが苦手とするちぎり絵を丁寧に教えていました。 

 食育においても、ヒロコは園児たちのお弁当に嫌いな食べ物が入っていると、それを食べてあげて「うめぇ~」と笑顔で言うことで、子供たちの食の好き嫌いを克服する手助けをしていました。 


 ヒロコは、幼稚園教諭として、また一人の女性として、多くの人々に愛され、尊敬されていました。彼女の人生は、温かい心と強い意志、そして豊かな文化的背景を背負った、日本の昭和時代の女性の象徴とも言えるものでした。


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