スキップしてメイン コンテンツに移動

📗知覧の風(短編小説)

鹿児島の知覧。そこは、悠真にとって、少年時代の思い出が詰まった懐かしい町。

高校までは歩いてたったの5分。周りの友達が毎朝1時間かけてバスや電車に揺られているのを横目に、「お前はいいよな~」なんて言葉をよくかけられる。確かに、便利な場所に家があるのは幸運かもしれない。

でも、悠真にとって知覧はただの便利な“場所”なんかじゃない。


幼い頃は、家の近くの麓川でカニを捕まえたり、鰻を取ったり。豊かな自然が遊び場だった。夏には、川辺で蛍が幻想的な光を放ち、夜空には満天の星空が広がる。まるで、自分が時代劇の中に迷い込んだような気分になることもあった。

江戸時代から続く石畳の道、緑に囲まれた武家屋敷。そんな景色を眺めるたびに、悠真は過ぎ去った時間に思いを馳せる。

高校に進学しても、悠真の毎日は穏やかに過ぎていった。昼休みには家に駆け戻り、母の手料理を食べるのが日課だ。

「ただいま!」

「おかえりなさい。ほら、温かいうちに食べなさい。」

ふわっと漂う味噌汁の香りは、母の味、そして故郷の味。それは、悠真にとって、少年時代を思い出す、懐かしい記憶の扉を開く鍵だった。

そんな変わらない日々の流れの中で、悠真には忘れられない思い出がある。

それは、小学生の頃の遠足。行き先は、薩摩富士とも呼ばれる開聞岳。悠真にとって初めての本格的な登山だった。


片道四里(約16キロ)。長い道のりも、友達と一緒なら楽しい冒険に変わる。

「おい、悠真! 何か面白い形の雲があるぞ!」

「本当だ! あれ、亀みたいだな!」

笑い声が山道に響く。

途中、何度か疲れて座り込みそうになった。

「もうダメだ…。」

そんな時、いつも友達が励ましてくれた。

「もう少し頑張ろうぜ! 頂上からの景色、すごいらしいぞ!」

その言葉に背中を押され、悠真は一歩一歩、足を前に進めた。

そして、ついに頂上へ!

目の前に広がる景色は、まさに絶景だった。青く輝く薩摩の海、どこまでも続く空。その雄大さに、悠真は息を呑んだ。

「…すごい。」

達成感と、共に登り切った仲間への感謝の気持ち。その二つが、悠真の胸に深く刻まれた。

あれから数年。高校生になった悠真は、桜の花が咲き乱れる護国神社に立ち寄る。

ひらひらと舞う花びら。

それは、まるで母の優しい眼差しのよう。

悠真は、あの開聞岳の頂上で見た景色を思い出す。そして、あの時感じた仲間の大切さを。

「いつか自分も、誰かを支えられるような人になりたい。」

そう、心の中で誓う。

最近は、将来について考えることが多くなった。

友達の中には、県外の大学を目指すやつもいれば、地元に残って農業を継ぐやつもいる。

悠真はまだ、自分の進むべき道を見つけられていない。

この町を出て、広い世界を見てみたい。そんな気持ちもある。

だけど、一つだけ確かなことがある。

それは、この知覧で過ごした日々への懐かしさ。

この町で出会った人たちの温かさ。

「いつか、この町での経験を活かせるような仕事がしたい。」

そんな気持ちが、芽生え始めていた。

風に乗せて、過ぎ去りし日々の記憶を。

希望の歌を響かせながら、悠真は今日も未来へと歩き出す。

まだ見ぬ自分の道を探しながら、確かな一歩を踏みしめて。

コメント

このブログの人気の投稿

奇跡の出会い - 泉の森のアカガシラサギ

  奇跡の出会い - 泉の森のアカガシラサギ 泉の森での散歩中に、とても珍しい鳥「アカガシラサギ」に出会いました。 大勢の方が真剣な表情で大きな望遠カメラを静かに構え、じっと一点を見つめている様子を不思議に思ったご利用者様が、「何か珍しいものがいるのですか?」と小声で近くの方に尋ねてくださいました。 その方が丁寧に教えてくださったのは、この鳥が『アカガシラサギ』という非常に珍しい鳥であるということでした。 後から調べてみると、日本では数年に一度見られるかどうかの大変珍しい鳥だそうです。主に旅鳥や冬鳥として飛来し、南西諸島など限られた地域で越冬することもあります。世界的には東アジアから東南アジアにかけて広く分布しているため、絶滅の危機にはないようですが、日本での観察はとても稀で貴重な体験でした。 私たちが見たアカガシラサギは繁殖期ではなかったため、残念ながら頭は赤くありませんでした。繁殖期には頭から胸にかけて美しい赤褐色の羽毛になるそうです。これから夏に向けて、この泉の森にもう少し滞在してくれれば、もしかしたらその美しい夏羽の姿も見ることができるかもしれません。 幸運にもスマートフォンのカメラにも収めることができ、写真には水辺で静かに佇むアカガシラサギの穏やかな様子がしっかりと映っていました。ご利用者様も「貴重な鳥に出会えて嬉しいね」と、笑顔で話されていました。 毎日の散歩は心身の健康にとても良いものですが、こうして珍しい鳥に出会える楽しみに加えて、自然の美しさに癒され、リラックスできる大切な時間でもあると改めて感じました。これからも泉の森での散歩がとても楽しみです。

伊勢脇通りの物語

  伊勢脇通りは、今日も朝から賑やかだ。 豆腐屋の威勢の良い声が響き渡り、人々は布団から這い出し、新しい一日が始まる。豆腐屋の角を曲がると、平倉帽子店のショーウィンドウには、色とりどりの帽子がまるで舞台俳優のようにスポットライトを浴びている。 その隣には、八百金の店先から、野菜の香りが漂ってくる。 「あら、奥さん、今日はいい筍が入ったのよ。煮物にしたら、ご主人も喜ぶわよ」 八百金の女将、千代さんは、いつも笑顔を絶やさない。彼女の人柄に惹かれて、遠くから野菜を買いに来る客も多い。 「千代さん、今日も元気だね。その笑顔で、伊勢脇通りが明るくなるよ」 常連客の一人が、千代さんに声をかけると、彼女は顔をほころばせて、「そんなことないわよ」と謙遜する。しかし、彼女の笑顔は、確かに伊勢脇通りを明るく照らしている。 八百金の隣には、魚勝の店先で、新鮮な魚介類が氷の上に並べられている。店主の勝さんは、魚の目利きには定評があり、客の要望に合わせて、おすすめの魚を提案してくれる。 「今日は、脂の乗った鯖が入ったよ。塩焼きにしたら、最高だよ」 勝さんの声に誘われて、客たちは足を止め、魚を品定めする。 魚勝の向かい側、喜正軒西洋料理のシェフ、健太は、今日も腕によりをかけてオムライスを作っている。 彼の作るオムライスは、伊勢脇通りで一番美味しいと評判だ。ランチタイムには、近くの洋品店のマダムたちが、彼のオムライスを目当てに集まってくる。彼女たちは、オムライスを食べながら、ファッションや新作の帽子について語り合う。 「今日は、新作の帽子が入荷したよ。奥さんにぴったりの、素敵なのがいくつかありますよ」 平倉帽子店の主人、一郎は、通りすがりの女性に声をかけ、帽子選びを手伝う。彼は、帽子の歴史や素材について詳しく、客一人ひとりに合った帽子を提案する。 「一郎さんのおかげで、素敵な帽子が見つかったわ。ありがとう」 女性は、笑顔で帽子を受け取り、足取り軽く店を後にする。一郎は、そんな客の笑顔を見るのが、何よりの喜びだ。 夕暮れ時、伊勢脇通りは、仕事帰りの人々で賑わう。湯澤金物店の店先には、鍋や釜がずらりと並び、夕食の献立を考える人々が足を止める。 「今日は寒くなりそうだから、おでんにしようかな」 「そうだね。熱々のおでんを食べれば、体も温まるね」 そんな会話が聞こえてくる。湯澤金物店の隣には、本...

麦の香りと日々の記憶ー栃木県の思い出

  麦の香りと日々の記憶 水彩画のような柔らかな光が、昭和三十年代の芳賀町の春の田園を染めていた。空気は澄み、風が運ぶ土の香りは生命の目覚めを告げていた。その光景の中に溶け込むように、一人の少女が佇んでいた。 サチコ。 十歳の彼女の瞳には、この世界のすべてが鮮やかに映っていた。田んぼの畦道を歩くサチコの足取りは軽やかで、時折立ち止まっては水面に映る自分の姿を不思議そうに覗き込む。薄い木綿の服が風に揺れる様は、まるで風景画の中の一筆のようだった。 午後の授業を終えたサチコの楽しみは、夕暮れの田んぼでのドジョウ捕りだった。他の子どもたちが騒がしく遊ぶ中、サチコはひとり、水と戯れるように泥の中に手を差し入れる。指先に触れるドジョウの滑らかな感触は、言葉にならない喜びをもたらした。 「あっ、いた!」 小さな声を上げると、その音は夕闇の中に吸い込まれていく。西の空が赤く染まり始めると、サチコは捕まえたドジョウを小さな竹籠に入れ、家路に就いた。畦道の両側では、稲の若葉が風に揺れ、それは少女に手招きをしているようにも見えた。 「ただいま」 障子戸を開けると、炊事の音と共に母の温かな声が返ってきた。竹籠を台所に差し出すと、母はにっこりと微笑み、その日の夕餉の準備に取りかかった。 「今日はたくさん捕れたわね」 母の手にかかると、泥臭いドジョウは香ばしい一品へと変わる。囲炉裏の火が揺らめき、その光が天井の梁を照らし出す。家族が囲炉裏を囲み、その日の出来事を語り合う時間は、サチコにとって何よりも安らかな時間だった。 春から初夏にかけて、サチコの家族は田の神様に豊作を祈りながら、米作りに勤しんだ。鍬を手に額に汗を浮かべる父の背中は、サチコの目にはとても頼もしく映った。稲の成長と共に季節は移ろい、田んぼの緑は黄金色へと変わっていった。 稲刈りが終わると、父は畑に麦を蒔き始めた。「今年の麦はきっといい出来になる」と父が言うたびに、サチコは小さく頷いた。それは単なる農作業の一環ではなく、一家の希望を土に埋める儀式のようだった。 やがて麦が芽吹き、青々とした畑が広がる頃、遠くの町からパン屋がやってくる。サチコの家で作られた麦と交換に、パン屋は焼きたてのパンを届けてくれるのだ。その香りは、サチコにとって特別な日の証だった。 「サチコ、パンが来たよ」 母の呼び声に飛び起きた朝は、いつもより鮮や...